かつて身延線では旧形国電10形式74両が走っていました。 身延線の前身は「富士身延鉄道」で、昭和3年3月30日全線開通しました。そして電車の投入は前年の富士一身延間電化の際おこなわれています。しかし、昭和13年11月1日から国鉄に経営権が委託されるたのに伴い、国鉄車両の入線が始まりました。最初に走ったのは昭和14年2月のモハ1形でした。
昭和16年5月1日からは正式に国鉄に買収され、新たに身延線として再スタートしました。その後初の身延線用車両として、モハ62+クハ77などが投入されています。昭和26年3月改正時より、モハ44+クハ47が投入されました。
昭和39年3月改正からは、静岡区の80系4連による準急“富士川”が2往復設定されました。また昭和40年3月改正では、中央東線韮崎駅までの乗り入れも開始されています。昭和41年3月改正では準急の格上げなどにより、急行“富士川”と準急“白糸”に分かれています。その後準急白糸は富士川に統合され、昭和47年3月改正で80系から165系化されました。10月より三島発を加えて5往復体制で運行されていました。
旧型国電も身延線の車両限界に合わせ、低屋根仕様とされていたため転出も少なく多くの車両が運用されていました。昭和45年夏にはクモハ51やクモハ60形も投入されています。しかし次第にこれらの車両の老朽化も進んできたために、昭和49年モハ72系の足まわりを流用しボディーのみ新製したモハ62系3編成12両が登場しました。ただしボディのみの新製では一時しのぎの感が強く、その後は増備されていません。その後の旧型国電は、昭和56年の115系デビューまで身延線で活躍していました。
一方沿線に製紙会社が多くあったため、貨物輸送もされていました。はじめはED17が身延線で活躍していましたが、その後本線での活躍の場を失ったEF10が昭和45年8月より身延線を走るようになりました。 しかしこれらも昭和53年1月には全廃され、EF15などが後を継ぎましたが、現在の身延線は貨物輸送そのものが運行されなくなってしまいました。