昭和44年、それまで全線単線であった身延線の富士−富士宮駅間の複線化工事にあわせて、富士−竪堀駅間の路線付け替えが行われました。これは当時頻繁にあった東京方面からの団体列車の乗り入れを改善するためと、渋滞が深刻化しつつあった国道との立体交差化が目的でした。
現在では自動車の通れない緑道として市民に利用されている旧線跡は、身延線自体が廃止されたわけではないので、雑誌等にはほとんど紹介される事もありません。地元の人以外あまり知られていないこの不遇(?)の旧身延線跡をご紹介します。
現在の身延線は、富士駅より西に向かってしばらく東海道線と平行して走った後、大きく右側にカーブし北に向かって最初の駅、柚木駅を目指します。
旧線はこれとは逆に東側に向かって走り、すぐに左側に大きくカーブします。そして当時の国道1号線 (現県道396号線) と交差した後、道路からすぐの所に現在では無くなってしまった本市場(もといちば)駅がありました。当時から電車が通るたびに、この平面交差が渋滞を作る原因となっていました。
そして更に1.2Km富士宮方面に走った所に旧竪堀駅がありました。この旧竪堀駅は現在の竪堀駅より約400m東側にあり、富士駅から見て最初の行き違いのできる駅でした。この駅からこの地区の特産である富士梨が貨物列車で出荷されていたそうです。
現在の竪堀駅でもそうですが、旧竪堀駅のすぐ近くに高校があり、多くの学生がこの駅のお世話になっていたそうです。
そしてこの後数百メートル走ると、現在の身延線とぶつかります。その先にある潤井川橋梁では現在の身延線上り線側の橋脚に、当時の橋脚がそのまま使われています。